続きです。
〈目次〉
古川→石巻線経由→野蒜
朝古川のホテルを出発してからは、石巻線に乗車するためまずは小牛田駅へ
キヤE195系が大量に留置
何編成おるねん…というくらいに置いてあったのですがこれはこういうものなのでしょうか笑
なんか車両持て余してる感すらありますね。絶対そんなことないはずなんですけど
そして個人的に意外だったのは、海側に近づいてもまだ雪が残っているという事。
流石に最終日は仙台近郊ですし雪のないところだろうと割り切って長靴は片づけたのですが結構普通に残っていることに驚き。レーダー上は積雪ゼロで太平洋沿いでもやはり東北。降ることは降るようです。
そして石巻駅に。石巻からは前からもっと撮りたかった仙石線を集中的に狙う事にしました。
途中の駅で行き違い(どこの駅か忘れた)
青以外の205系も走っているのが関西との違い。というか顔も全く違うので人気がある車両とは言い難い部分もあるのでしょうが、個人的には好きな車両。
仙石線撮影@野蒜‐陸前小野
天気も良かったので空を思いっきり生かして撮影してみました。青色の205系を期待していたのですが来たのはまさかのラッピング。がっくり感も否めないですが仙石線らしい205系なので良し。
この区間は普通列車の本数は当時の時点から決して多くは無い区間。そのうえこの間の改正で本数を若干減らされて普通列車は相当使いにくくなってしまったので、快速停車駅から近い撮影地というのは助かります。
仙石線と東日本大震災
線路切替区間(陸前小野→野蒜)
撮影地から少し迂回して駅に戻ろうとしたらなにやら鉄道らしい標識が…
これは…
この区間は撮影地の雰囲気でも駅の立地でも分かると思うのですが、大震災で被災後線路を切り替えた区間。周辺は津波で流されて跡形もない更地になってしまったエリアでもあります。その中でここは奇跡的に走行していた仙石線列車が緊急停止し難を逃れたた場所なのです。
この区間は実際に当時のニュースで見た記憶もあります。あれから結構な年数が経過してようやく新線が出来たわけですが、更地も多くかなり大きな津波が来たんだという事を実感します。
旧野蒜駅(東松島市震災復興伝承館)
旧野蒜駅は震災復興伝承館として残されています。
津波はこの1階の天井位まで来たわけですからひとたまりも無いですよね。
現在仙石東北ラインの快速列車が停車する野蒜駅ですが、当時の野蒜駅も快速停車駅。つまり駅前はそれなりに栄えていて人も多数住んでいたという事も安易に想像が出来ます。
駅のホームもほぼ当時のままで保存されていますが、一部で線路がホームから離れていたりホーム自体がボロボロになっていたりと当時の地震と津波の恐ろしさがぱっと見で分かるようになっています。
実際に当時の津波の映像も伝承館で流れていましたが、やはり恐ろしい。
当時の駅の設備も一部保存されていたのですが、津波に襲われ目も当てられない状態に。これが太古の昔の券売機とかだと実感も湧きづらいのでしょうが、Suica対応の機械ですからね。
当時中1だった自分でもこれは大変なことになっている…と思った記憶が鮮明に残っているくらいの出来事でしたから現地に行くと更にその凄惨さが分かります。
先ほどの撮影地の立派な高架のワケというのを改めて考えさせられました。
この後松島海岸駅に移動して次の撮影をします。
続く